Fumiaki Konno in Rikuzentakata

2011年6月6日月曜日

雀の涙

その後、紺野さんと連絡がなかなか取れずにいましたが、今日、電話を頂きました。5月末に月山神社避難所が閉鎖されたため、現在は長部小学校の避難所に移り、そこで12~3名の方々と生活を共にしているそうです。

陸前高田市内では現在、至る所に重機による撤去作業が進められているそうですが、その中で紺野さんは個人で作業を続け、ご実家から家財を救いだし、骨組みだけが残っているご自分の自宅へ毎日運ぶことを続けているそうです。

そんな折、ご実家からいくつものすずめの巣とそして雛を見つけたそうです。以下、紺野さんからのメールを貼り付けます:
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雀のことについて、お話します。前々から、父の家、気仙大橋の近くに流されてあったもの、約二キロ離れたところから家財やその他のものを運び出してきました。いよいよ5月末には、市の建設課から6月1日から解体したいむねをはなされました。まだ最終的に、屋根瓦の移動が最後残っており、最終段階でしたので、あと二三日待っていただくようにおねがいしたところでした。ところが、二階のなどからの瓦をはがしていくうちに、あちこちに、雀さんの巣がみつかり、中に、様々な生育段階のひながたくさんいることがわかりました。そのため、それらの箇所の瓦などは外さずにそのままにしてきましたが、結局、瓦礫として、この家は解体されるの、たくさんの雀のひなたちの運命はすでに封じられている事実を目の当たりにして、非常に打ちひしがれている毎日です。津波以来、元気に物を動かしてきました自分ですが、はじめて、無力感の気持ちが沈み始めている自分に気が付いています。近くの野鳥の会、動物病院、保護団体にも電話してみましたが、結局自分だけでは、避難所でほかの人たちと共同生活をしている私にはできることは限りがあります。これらのひなを見てくれる人たちの御支援や具体的な御意見をお願いしたく思います。この家の瓦の中にざっと、10から15個ぐらいの雀の巣があるようです。親鳥が毎日、忙しく虫の餌を運んでいます。今週中、いつになるかは、わかりませんが、重機がこの家に来て、この家とともに、これらのひなたちをつぶしてしまいます。
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 正直、最初お話しをお伺いした時には「この折に雀の巣の救出!?」と驚きました。しかし、紺野さんにしてみれば、全ての日常が津波の巨大な力によって破壊され、そしていま全ての痕跡が重機という人間のやはり大きな力によって清掃されようとする中、目の前にいる小さな生き物を無視することができなかったのかもしれません。

雀は益鳥としても害鳥としても知られている、おそらく日本人にとって最も馴染みの深い鳥です。舌切り雀を助ける翁のような紺野さんの想いも、震災後のひとつの物語だと思います。もしなにかアイデアなどあればお伝え下さい。

河江